創造者、重力は私達を含む哺乳(ほにゅう)類を物質として創った。感情や感傷などは無視してである。無視しなければ、残忍な食物連鎖のシステムは創 れない。重力には肉体がないから、その痛みが感じ取れないのかもしれない。親子関係の情や交尾などの行為は、物質としての存続を果たす為のものである。地 上における全種類の生物が、いかに増えず減らず生命の営みを繰り返すか。
このメカニズムは、1つを壊し(殺し)壊した物(死んだモノ)を補充(喰(く)い)して、1つを保持(生かす)する。よく消耗する(殺される)モノは2~5個体を創り(生ませ)1個体を残す(生かす)。
ここでは、破損・故障したモノ(私達の言葉で言えば傷ついたりケガしたモノ)は正常なモノに吸収され(喰われ)無存在となる。動物として持って いる「悲しい・苦しい・痛い・辛い・寂しい」などの形容詞で表される部分は、創造者からインプットされたものを少し派生させた心の作用にしか過ぎない。こ こまでが重力・質量に支配された構図である。
細やかに見える感情でさえも、重力の支配の域を出ていない。しかし、哺乳類を代表して人間としての使命が私達には課せられている。全く同じ感情を持つ、他の動物の痛みを実感してやり、各種、各々が安住できる環境を侵すことなく温存を図ってやらねばならない。
私達は他のものを物質として見るようにインプットされている。それを心で跳ね返さなければならない。何度も言うがここから精神を培い育む行為を 教育に組み込まなければならない。私達は三次元に位置し、二次元(紙媒体)から知識を得て三次元をいかに生きるかとこれまで考えてきた。物質によって創ら れたから物質ばかり追いかけ精神の開発が全く進んでいない。
学ぶ対象は二次元でも三次元でもなく、生命あるものは生命あるものを教科書としなければならない。人間を透して人間を観るのでは誤る。人なら ば、道端に横たわる赤ん坊に成りきり、どんな人間に拾いあげてもらいたいか自問すればわかる。また、動物に成りきり、その目で人間を観ることである。そう すれば同じ感情を持つものを今まで物質として見てきたことが良くわかるだろう。