普遍教育実践講座第244回 「橋下知事へ直訴-4-」

ここで述べている事は、教師が精神向上を段階的に培うための題材のみである。詳しく書けば21年間追究した膨大な量となり書き記すことができないからだ。細かな内容は、題材を十分に理解した後でいい。

まず、教師が常に意識しなければならないのは、原点である。原点とは原始時代を想定することである。でなければ、教育の行き先が見えない。近代化の中に真の教育はない。原始的な哺乳類の一種である人間という生物に、善と正しいことを植えつける作業が教育だからである。善とは精神、正とは物事。真理を知ることは正である。

近代の人間は、精神は原始時代のままで多少の礼節をわきまえ、時代背景に応じた服装をし、車を運転したり整備された環境に居住しているに過ぎない。精神が原始時代のままだから、教育に行き詰まりがきている。これは日本だけの問題ではない。

そして、人間が人間を通して教育を行うから、いつまでたっても完成された教育にたどりつけないのである。教育の邪魔になっているものを明確に見分けることもできない。そのものになりきってみたり、意識するということが教育には重要である。

例えば、どんな親が理想なのか、赤ん坊になりきってみれば解る。自分が赤ん坊になって見た時、求める親がどんな親であってほしいか、自問自答すれば答えは出てくる。また、人間以外の万物になりきって、人間を客観的に見れば何を教えなければならないか、分かる。哺乳類は人間も含み全て同じである。

五官という五つの感覚器官を見ても同じく、熱いものは熱く、痛いものは痛い、悲しいことは悲しい。こういうことを念頭において動物になりきって人間を眺めたら、人間はどんな生き物に見えるだろう。

他人の子を自分の子と同じであると体得すれば、このように種々の物や精神が浮き彫りとなり心眼で見え出す。人は、少しであるが良心を持って誕生する。しかし、それを奪い去るのは常に大人たちである。大人の基準は、さまざまな損得という欲が常に作用するからである。

人は真理を超えて、正と善を身に常備して万物とその心に対し責務を全うしなければならない。それが人間という生物に与えられた使命であり、人間であるべき価値という報酬で

Direct to Mr.Hashimoto Governer

 I say here that it is only the material teacher must cultivate spiritual progress gradually. If I particularly write, they are lots of quantities that I have been searched during 21 years and I can’t write down. I will write the detailed contents after understanding material fully.

First, it is the starting point that teacher must always aware. The starting point is assumption of primitive age. If not, we can’t see the goal of education. There isn’t true education in modern times. It is the education that human beings that is one of primitive mammal must be planted the good and right. The god is spirit and the right is thing. Knowing the truth is the right.

Modern human beings only have little propriety with primitive spirits, wear clothes tilled with period background, drive cars and live in taut environment. Because spirits are remainning primitive period,education are breaking down. This isn’t only Japanese problem.

And human beings educate through human beings, then they can’t reach to completed education forever. They can’t distinguish clearly the obstacle of the education. It is important for education theat we become self and have consciousness.

For example, we can understand what parents are ideal when we are babies. When we become babies, what parents we ask, the answer will come out with saying to ourselves. Moreover, we become aeration except human beings and watch human beings objectively. Then we know what to teach. All mammals are same contained human beings.

Like looking at the five sensory organ, hot thing is hot, ache thing is ache and sad thing is sad. If we look at human beings becoming animals by keeping them in mind, what humanbeings are seen?

If we master that other children are same as our own children, we will begin to see by mind eyes developing many things and spirits. A person is born having a little conscience. But robbing them is always adults. The standard of adults is always operated the various desiers like loss and gain.

People must carry out the duty to creation and their heart with right and good beyond the truth. It is the mission given to human beings and the consideration as the value to human beings. At the same time, it is the goal of education.

ある。同時に教育の行き先となる。

 

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普遍教育実践講座第243回 「橋下知事へ直訴-3-」

日本の教育結果は世界から笑われている。現知事が在職中に日本を救ってもらいたい。つまり、大阪府が世界に先駆け、精神教育の発祥となり日本の崩壊を阻止して頂きたい。教育の基盤に芯(しん)を通し、その行き先を定義づける。それは最も難しいことではある。

その大きな原因は、欲を満たすことだけしか考えていない事と、教師が精神を奥深く探る勉強をしていないことである。これは世界中の教師にも言える。教師がお粗末だと、お粗末な生徒しか産出しない。やがて彼らが大人になりお粗末な社会人の一員となる。

政治家たちも同様である。国の宰相であろうと、誰でも義務教育は通過する。だから義務教育から変革するべきである。生徒や親を変える前に、教師 が限りない勉強をし変わらなければならない。教師が変われば子どもたちが変わる。その子どもたちが成長すれば社会が変わり、国家が変わる。国家が変われ ば、見本となり世界が変わる。

だが、教師が目指す着地点が現在の彼らの概念の中にあるわけではない。その道標を示したい。前回に述べた「他人の子どもを自分の子どもと全く同 じであると体得すること」「教育とは何か?」この2つを限りなく追求すれば、自ずと道が創り出される。未熟で愚かだった自分に気づき、世界で1番嫌いな人 間は過去の自分だと思うようになる。そうすれば、しめたもの。進歩した証拠である。

さらに道は続く。そのうちに、教育に人生を賭けるようになり、勇気がないのは貫く理念をもたないことにあると分かる。子どもたちには厳格さが必 要だと分かり、思いやる心が厳格さに繋がると会得し、厳格な自分が在ることに気づく。無謀と厳格、そして勇気と無謀の違いも分かる。文字や距離の測り方を 識(し)ろうとすることだけが勉強ではないと気づく。

それらは学問知識に過ぎない。地上にあるものを識ろうとすることは唯物であって真の勉強とは言えないということにも気づく。そう気づいた教師の 勉強は、限りなく思索を巡らせ、尽きることのない考えに突入する。やがて、子どもたちやその親が日常生活の中で何も考えることなくただ反応だけして生きて いる、ということにも気づく。

Direct to Mr.Hashimoto governer

 The result of Japanese education is laughed by all over the world. I want to save Japan by the present governer in tenure. Namely, Osakaprefecture want to become orijin of spiritual educationt to pioneering in the world and stop the Japanese collapse. He let the core into educational basis and define the goal. It is the most difficult.

The greatest reason is that they think only filling the desire and teachers don’t study searching spirits deeply. It is the same as teachers in all over the world. If teachers are poor, only poor students are made. Soon they become adults, they are members of poor society.

The politicians are same. Even the premier of the country, everyone pass the compulsory education. So we must change from the compulsory . Before students and parents change, teachers must study vastly and change. If teachers change, children will change. If the children grow up, society will change and their country will change, it becomes sample and world will change.

But landing point that teaches aim isn’t in their present idea. I want to show the guidepost. I said last “We must master that other children and our own children are quite same.” “What is education?” If we search them vastly, the way will be produced naturally.

I notice of inexperience and fool and think that the human being I dislike most is the past self. Then thank God. It is the evidence that we progressed.

Moreover, the way continues. Then, we will bet the life for education and understand that the reason of no-courage is don’t have the philosophy of persisting. We understand that children need the strict, comprehend that consideration connect to the strict and notice the existing of strict oneselves. We can understand rackless and strict. And we can see the difference between the courage and rackless. We notice that only knowing words and measuring distande isn’t studying.

They are only learning knowledges. We notice that learning the ground is materalism and isn’t the true study. If teachers notice that, they think speculation vastly and dash the unfalling idea. Then we notice that children and parents live only reacting without thinking any more in their daily life.

 

 

 

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大谷武三郎のこのままではあきませんで  普遍教育実践講座 2

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全ての人間は悪に興味がある

厄介な事に、全ての人間は悪が好きで関心を持つ。  ・。.・. 悪が魅力的な証拠に、法律を犯す物語や映画を、人は好んで見る。しかし、辛うじて救われるのは、人が人を選ぶとき、最も悪や間違いの少ない者を選ぶ。国の指導者を選ぶ選挙などが、そうであるように。             だが、選ばれた彼らは完全な善人ではなく、完全な正義を行使する訳でもない。    ・ 陰では不正儀や悪を使用するのが、現実である、そして大衆の前では偽善を装う。     大切なことは、誰も見ていない所で、人は善や正義を、如何に行使することが、出来るのか、これが我々人間に与えられた課題です。この部分を世界中が知り、ひとり、ひとりの中に、その大切な事を作り上げる作業が普遍的な教育と言える。

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巨大飢餓に臨む3つの現象、

☆2100年までに起こる世界飢餓に◎生き残りをかけ核戦争になるか、◎その前に地球破壊を避けるために、自然が人類を壊滅させるか、◎人間の存在理由「普遍的指導」を実践し、地上を穏便に治めるのか。

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自然がもつ法律

◎自然にはルールがあって、そのルールとは宇宙の法律「法則」です。自然破壊を起こしたり、他の生物を絶滅させることに、自然の法律が働き、自動的にそれを犯した人間に苦しみが与えられる。 それは程度が大きい場合、大きな罰を与えられる。             ◎他の生物は、我が身を犠牲にしても、限度を超えた破壊や絶滅を決して実戦しない。 限度を超え、自己を満足させようとするのは常に人間である。

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世界を地上を救うのは、政治でもなく、軍事力でもなく、それは普遍的な教育しかありません。

このままでは、2100年までに人類は崩壊する。世界人口は、2050年には約90億人、更に、2100年には約130億人となり、私達は生存不可能となります。必ずや訪れる核戦争に因る人類滅亡の前に、この普遍教育大が行き渡り、人と他の生物が救われることを祈るのみです。世界の、ひとり、ひとりが、知っていなければ、ならないことを、ここに記したい。  ☆学問は自分の人生の、役に立たなければ、学問といわない。    ☆また、哲学は地上に生息する、人間を含む他の全ての生物を、生かし、共存出来る方法を解き明かして、それを世界中の、ひとり、ひとり、の胸に響かせ伝える、そして、それを実践して、地上滅亡を防ぐ作業にあります。
☆やがて訪れる、地球が自ら破壊する日まで、人間が他の全ての生物を守り、生かす、その地上を守り通す役割が、私たち、人間の存在理由なのです。

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大谷武三郎のこのままではあきませんで 普遍教育実践講座 第一章

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大谷武三郎のこのままではあきませんで  普遍教育実践講座 (2014/9/1)



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大谷武三郎のこのままではあきませんで2014/05/26

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