魂と意志の考察 第228回2010年8月17日大阪日日新聞掲載

彗星を発見した天文学者のKさんが、臨死体験をしたことは周知の事実である。臨死体験とは、つまり、1度死んだ状態であったということである。約30分間心臓が止まっていたらしい。その彼に会って30分の間に何を見たのか聞いてみた。「大きな河のような帯状のところへ行き、その全体の一粒が自分だった」と言っていた。

次に、医学博士のSさんが「臍帯(さいたい)血は万能の治療薬だ。血液型や遺伝子にも左右されずこれからどの形にでもなる、要するに誰にでも注入ができる未確定のものであって、効果を発揮する」と言うのを聞いた。臍帯血とは、胎児と胎盤とをつなぐやわらかな索状の器官の中にある液体である。

この2人の語る内容は前回述べた「自意識が魂の実体」であるということに繋がる。肉体が滅びると、その生涯の総計(善悪の比率と正誤の比率。例えばある一人の人間が持つ善10%悪90%、正20%誤80%というような比率。)を持った魂、そのままの主体が意識としてあるのだが、脳が存在しなくなるので記憶の全ては消去される。

そして無意識となり、異次元である巨大な河に着陸する。そこで判決を待ち、次の肉体に移行され再び脳を得る。これが、無意識が自意識に変化する瞬間だ。どんな生物の脳を得たのかは天のみが知る。更にふるいにかけられる。人に生まれても、猿に生まれても格差がつけられる。

人間の場合、受胎すると当然、まだ何にでもなり得る臍帯血が設定され、そこに魂が組み込まれていく。そして、ある時機まで、誰のものが誰に付着されるのか検討される。ここで既に格差が発生する。大統領の子供として誕生するのか、アフリカ難民の子供として生まれるのか、生まれてすぐにゴミ山に捨てられえる結果となるのか、大きな違いである。

「天網恢恢(かいかい)疎にして漏らさず」という老子の言葉の通りである。「天の網は広大で目が粗いようだが、悪人は漏らさずこれを捕える。悪いことをすれば必ず天罰が下る。」という意味だ。要約すると、自己の一生涯に総計があって、結果においてまずどの生物に生まれるかが決定し、次に同種の生物であっても格差が発生するということだ。

人間は善悪を持って誕生するが、悪を捨て善を実践する人生を!来世のために。

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