水滴と宇宙 第235回2010年10月5日大阪日日新聞掲載

水が水でいられるのは水の中に張力が働くからである。内向きに引っ張るその力があるから気体にならず水のままでいられる。と、微粒子専門のNさんが言っていた。人間の精神も同じで、自意識という内向きの力があるから自分でいられる。もし、自意識がなければ精神がバラバラになり自分が分からなくなる。

漠然とした自分の概念にも種々の分野があるが、その中心となるのは自意識であり自我である。肉体と同様、精神も中心に向かうことで成り立っている。つまり、重力から応用された形体である。1滴の水であれ、動物の1個体であれ、地球、太陽系、銀河であっても全て同じ応用で形づくられている。

魚の群れ、人間社会、1国の集団、星群など、集団で考えても同じことである。これらの集団は各々領域を持つ。銀河という集団の中に太陽系というグループを持つのも、世界人類の中に1国という日本国があり、さらに細分化されるのもまた同じことである。そして、なんだかんだ言っても、創造者にインプットされたまま、独りよがりに生きているだけなのが、我々生物である。

前に「重力の功罪」について述べた。それを分析し、長所と短所を選り分け、長所を温存し短所を実行せず変換させることが人間としての私たちの使命であり存在理由である。冒頭のように自我は生存には極めて重要であるが、我がままを通し他に巨大な迷惑をかけて生きているのが私たちだ。今日では世界中の人間が何も気づかず動植物にも劣る生き方をしている。

とりあえず1つだけ例をあげると、動植物は懸命に地表を守ろうと我が身を投じて生きているが人間はどんどん地表を破壊しているということだ。誰もがわかっている事実である。さらに地表の呼吸を止めるかのように人間はアスファルトやコンクリートで固めてしまった。

自然破壊である。何とか自然を取り戻そうと、動物が排泄物を叶わぬまでもまく。しかし、立て札がある。「犬のオシッコ禁止」と。

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