人間には体重があり、物には全て重量がある。体重があるということは、外へ引っ張られる力より、地球の中心へと引っ張られる求心力が勝っているということだ。人間の精神も同じことで、何もしなければ、どんどん求心力が勝ち、対抗性や規範性が薄れてくる。例えば、刑務所で長期間服役していると、外に出た時どうしてよいかわからなくなる。病院などで長期間の療養生活を送った人も、五体満足であっても家に閉じこもっている人も同じである。
他者との対応困難を起こしたり、規範性をすぐに発揮することができない。決まった時間に家を出ること、仕事や学校に遅れないこと、決められた作業をこなすことなどが極めて困難となる。無理やりにでも、行動を起こし規範性と対抗性を身につけていくしかない。
がむしゃらに行動していくうちに、何でもできるようになっていく。大変なことではあるが、思いきって最初の一歩を踏みださなければ、内に向かう求心性の働きばかりが、強くなってしまいバランスを取り戻せない。 本来、人間の男性は対抗性が主体となっている。
分かりやすい例は戦争である。家族への思いという求心性を持ちつつ、軍の規律を守るという、規範性も備えながら戦うことが主体となっていく。ところが、同じように食うか食われるかの争いの中に存在している動物の場合は、規範性が主体となっている。人間の争いは、自分や自国の外側にある敵に対して戦う。動物の場合は自分たちを生かしている自然を守っていくための規範に忠実である。
その為に必要以上に捕食をせず自然のサーキュレーションを壊さない。もちろん、子供に対する深い愛情という求心性も持ち、対抗性によって天敵などから子供を守る。同じ要素を持ちながら、主体となるものによってずいぶん違うものである。こう考えてくると、外側のものを敵対する意識が強い人間は、最も危険な生物である。