重力と人間Ⅳ宮崎牛に想う 第217回2010年6月1日大阪日日新聞掲載

「動物をどう扱うかによって、その国のモラルがわかる」とガンジーは言い、「私は人類の権利と同様に動物の権利を支持する。それが本来の人間の取るべき道である」とリンカーンは言った。やはり偉人は良くわかっている。

それに比べてあまりにも勉強の足りない人間が多すぎる。いい加減に人間は動物に対する残虐行為を止めるべきである。まるで人間に特権があるかのように振る舞っているが、人間も他の動物と同じように種の存続目的で地上に存在させられているにすぎない。

国の指導者であろうがサラリーマンであろうが、何をどのように生きてもそれは同じである。その他に人間が生きている理由や目的がある訳がない。人間を含む地上の全ての動物には種に対する員数がある。そして各々に決められた生息場所があり、それが変わると異変が起きる。オーストラリアのウサギがいい例だ。

ある種の生物が一時的に繁殖しても何らかの理由で減り員数が合わされる。人間も交通事故や災害や戦争などで員数を調節されている。口蹄(こうてい)疫に想うことは、人間が安易に生物を移動し生物環境を狂わせていることが原因かもしれないということである。

もう一つ、昔出会った牛のことを思い出した。夕方、踏切の近くを1頭の牛が息も絶え絶えに走っていた。疲れきっていた。だが、必死に走ろうとしている。近くの“屠殺場”から殺されまいとして逃げてきたのである。数人の男が棒を持って追いかけてきて殴りまわして連れ去った。

いたたまれない気持ちになった。そのような状況を知らずに肉を食べている自分を恥じた。人間のように知恵を与えられなかったが同じ感情は持っている。冒頭の偉人のことばに付け加えたい。「動物の扱いによって、その人間の精神レベルがわかる」

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