人間の存在理由(重力の功罪2)第124回 2008年7月22日大阪日日新聞掲載

生命とは実に不思議なものである。地球は不思議で満ちている。この不思議なものを生んだ親は古代よりさまざまな名称で呼ばれてきた。ここでは仮に天地創造主と言おう。創造主は地上に存在するすべての生命体の生みの親である。我々人間の生みの親でもある。そして我々より数億倍も聡明(そうめい)である。

しかし彼らも完ぺきではなく、自ら完ぺきでないことに気付いてもいた。さまざまな生命体や構造を生み出しながら、気付かなかったもの、計算違いをしたもの、求心性から感情が派生することを考えつかなかったことなど、多くの空白があった。他の生命体と異なり、人間だけに知恵と欲を授けた理由がここにある。

自分が見過ごしたことや欠落したものを人間に見つけ出させるためである。あまりにも聡明であるがゆえに知っていたのである。無数に創造するものがある中で必ず間違いや見落としているものがあることを。我々人間は、その空白を埋め派生した副産物を正誤に分け、誤りを正す作業を課せられている。それらを見つけ出しどのように解決していくかという課程が教育の核とならなければならない。

今日までの教育は既存のものを説明しているに過ぎない。ある植物がどのように生長するか、太陽と地球の距離がいくらか、目の前にあるものを計算する方法など。どの科目の中にも創造時に欠落されていたものを指摘するものはない。それを抜きにしていかなる考えや教育を施しても完成された人間が造れない。

また、そんなものは真の教育とは言わない。真の教育をしなければ、与えられた知恵や欲で損得を推し量ることだけを追求し、未完成な状態の我々は自滅するようにプログラムされている。人間の存在理由は創造時に未完成だったものを完成させることにある。

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