普遍教育実践講座第252回「人間の存在理由」

三次元に誕生した私達は、二次元の印刷物「お金」を世界中で追い求めている。そのためには、生物の身体的苦痛や心の働きを無視して止まない。これまでの唯心論と唯物論は、「物質精神」の中で問われ追求されてきた。そこには答えなど無い。その理由は、人間の中だけで探索しているからだ。だから、答えがないまま放置されている。何にも勝るのが「生物的唯心論」でなければならない。

昨夜、東京の大きなレストランは、ほぼ満席であった。種々の肉料理を、大勢の人たちが食べている。メールをしながら食べる人、口論しながら食べる人。ふと、残酷な光景が頭の中に浮かんだ。地下一階に沢山の生きた動物が檻に入れられ殺されると知り、あちこちで悲鳴を上げている。一階に運ばれ殺され肉にされて、二階のレストランに運ばれる。そこで大勢の人たちが、ワイワイとその肉を食べている。

悲痛を叫ぶ地下にいる動物たちの存在を、誰一人思いやる者はいない。場所が異なるだけで、これと同じ状況が世界中で日々繰り返されている。帰りの新幹線では、芸能人が毛皮の襟付きの衣服を着ていた。動物が生きたまま皮ごとはがされた毛皮である。その芸能人はゲームに夢中だった。血の涙を流して生きたまま皮をはがれた動物の姿が、彼の首回りを暖めている。

このようなことを、何とも感じない事が、「物質精神」である。また、動物に触れた時、自分の衣服の素材が静電気を発し、ビックリした動物が攻撃されたと思い、かみつくことがある。これを、何もしないのにかまれたと思う人間が多く、かんだ動物を半殺しにする者もいる。動物には、静電気など分かる知恵が無いので分からないことを理解してやらねばならない。

世界中の一人一人が、自分の中に在る「物質精神」と対峙(たいじ)し、新しい「生物精神」を自己の中に確立する教育をすぐに実践するべきである。「そんな事を言えば、肉を食えず生きられないではないか」と反論されるだろう。そうだ。自ら滅びることが究極の解決となる。だが、生まれたからには生きねばならぬ。この狭間を考え解決して生きることが、人間の存在理由である。

宇宙ではゼロが総計である。循環すなわち様々な生物に生まれ変わることも、総計ゼロの概念である。どの生物に生まれても、安心できる人間になっておくべきである。

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