人生の総計である『魂』によって行先が決まるⅡ 第226回2010年8月10日大阪日日新聞掲載

海ガメは砂浜に卵を産み落とし、去って行く。孵化した子ガメは一斉に急いで海を目指す。しかし、まれに海とは反対の方向へ行ってしまう子ガメがいる。海に辿りつけなければ無残な死が待ってる。我が子を捨てた親は、このような運命を持つ子ガメにうまれかわるだろう。

「そんなことはない!人間は人間に生まれる。現に親子は似ているではないか。」と反発の声もあるだろう。親子が似ているのは、肉体や動作であって魂ではない。だから、どのような環境であっても「あの親にこんな子が」「この子にあんな親が」というようなことが起きる。

いずれにせよ、生涯をかけて善い魂づくりを行わないなら、いつまでも人間として存在できない。人間として存在する意味と価値がないからだ。他の生物を見るごとに、来世の自分の姿ではないかと自問することが大切である。自分の魂は悪や誤りが多いのか、善と正しいことが多いのか、人生の最期にその密度が計算され、何に生まれ変わるのか決定される。自意識が魂の実体である。

次に他の生物として生まれた時、今持っている自分という意識が、そのまま移行される。脳はなくなっているから記憶は何ひとつない。ただ自分という意識だけが残る。その自意識を持ったまま、小動物に生まれ蛇にのみ込まれる自分、あるいは鹿に生まれライオンに追いかけられ鋭い爪と牙に殺され喰われてゆく自分、イノシシに生まれ銃を持った人間に追われ恐れおののきながら逃げ回る自分、を想像してもらいたい。

生涯をかけて善い魂創りを行わないと、とんでもない事になる。善い魂創りをするには善いこととは何かを知らなければならない。知るためには深い心の勉強が必要となる。死ねば親子でも行き先が異なるのだから。

カテゴリー: 哲学講座 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です