普遍教育実践講座第258回「地球が怒っている」

今回の大震災にあたり、その深い悲しみは想像するに余りある。その上で今一度私たち人類の在り方について見直さなければならない。フランスの文化人 類学者、レブイーストロースは人類のおごりを戒めている。「限られた資源を喰い荒らしながら、人類だけが異常繁殖し、他の生物を絶滅に追い込んでいる。地 球中心主義が地動説に葬り去られたのと同様、人間中心主義もそろそろ終わりにしなければ」。

また 石原都知事が、「我欲に縛られた政治や人心が長年に渡り積重している。津波は天罰。」と言い批判された。被災者の方々には申し訳ないが、世界各地で頻繁に 起こる地震や津波は人類への警告かも知れないと私も思う。もちろん罰せられるべきは私も含む人類全体であって今回の被災者の方々には気の毒な限りである。

世界の海底には目を疑うほどの大量のゴミが、山積となっているだろう。そして森林を限り無く伐採。何億年も費して作り上げた地球上の自然環境 を、僅か100年弱で人間がズタズタにしてしまった。地上を作り上げた者に取って、人間も他の生物も自然も同じく我が子なのである。言い換えれば、自分の 手足にある指の一本が人間であり、他の指が他の生物である。

どの指も大切なはず。だが、自分の一本の指が自分の他の指を切断してゆくのである。19本の指を守る為に悪い一本の指を葬り去ることは適切な判断かもしれない。

常々、自分自身とは何だろうと考える。自己が生きることは、他の動物の肉を喰らい、他の生物が生きる生息場所を奪い、そこを車で走る。かつ、新 鮮な毛皮を人間が身に着ける為、生きたまま動物の皮を剥ぎ取るなど。そこまで、他の生物を犠牲にして生きる自己に、一体どんな価値があるのか?

ただ 生まれたから生きている。これ以外に理由が見つからない。これなら他の生物も同じである。生きる自意識の拡大に過ぎない。その中で顕示欲、物欲が自己の中 に渦巻く。石原都知事が言う我欲の固まりと化した人類。同じように生まれ狭い柵の中で肉に成るまでの生命しかない牛、豚、。行き先に価値のない自己なら、 他の生物への犠牲を最小限に留めるべきである。

生まれてただ生きるだけなら、他の生物を拘束し殺す資格や権利は何処にもない。まして、放射能などは自然が最も嫌うものである。人類にとっての当たり前を、根底から見直し改める最期のチャンスかも知れない。

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