普遍教育実践講座第251回「橋下知事へ直訴-11-」

「生物精神」を完成させようとすることは、責務と使命を追い求めることに尽きる。そのためには、人間以外の動物の心と目をとおして全てを見ることで ある。真理に対する責務があれば、環境破壊などしない。その教育を世界中が実践するべきであるが、いまだ見たことがない。ということは、真に善人が存在し ないのである。

世の中が便利になるにつれ、「物質精神」すら希薄になり大人が子どもを殺すまでに至った。原始人にも劣る浅薄さだ。原因の一つに、個人の権利ば かり求め社会制度が個人へ過保護となり求心性が弱くなったことが挙げられる。更に、思いやる心も低下している。それに比べて、動物の世界は求心性が強く心 が豊かである。

以前の報道に、イルカの子供が死んだ親イルカを、群れから離れないように何十キロも胸で押し泳いでいたというのがあった。また 両後ろ脚の骨が砕けたライオンの子供を、母ライオンが口でくわえ抱こうとするができず、移動する群れから離れゆく子ライオンを振り返りながら歩く。距離が 次第に遠くなり、見えなくなった母の姿を追う子ライオン引きずる脚跡の2本の線が、大地に痛々しく残っていたというのもあった。

その後、きっと他の動物に殺されただろう。そんな時、人間が自然破壊しなければ、ライオンの群れは移動しないで済んだと心痛い限りである。私達がサッカーや野球を見て、はしゃいでいる傍らにも同じようなドラマがある。

川の土手から1.5メートル下の幅10センチのコンクリートへ、親ネコが飛び降りエサのような小さな物をくわえ、また飛び上がり子猫に与えてい る。脚を滑らせたらはい上がれない。母ネコは、繰り返し飛び降りてはエサを子猫に運び、自分はそこに残る匂いだけを舌で舐め我慢している。

また、ある時、両後ろ足を車にひかれたネコが、やっとの思いで道路脇の草の茂みに身を隠した。が、カラスに追われ、前足だけで逃げたが後部を食 い千切られ、翌日には下腹部から後は殆ど骨だけとなり、それでも這い逃げる最中に見付けた。服で覆い、抱き上げて病院へと運んだが、ウジが下腹部に入り込 み治療が不可能との事。せめて安楽死を求め依頼した。

「人間を許して」とバスタオルで包み込んで、その死体を抱いてやった。「君も私も、人生はたった一度限りなのに」と。動物と真摯(しんし)に対 峙(たいじ)し、地球を1つと考えられる人間は、絶対に核を使ったり自然破壊をしたりはしない。宇宙の唯一の仲間である他の生物が生きられないということ が、自分の身に置き換えて理解できるからである。

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