普遍教育実践講座第250回「橋下知事へ直訴-10-」

「物質精神」から「生物精神」への道。言葉は単純だが極めて困難な道である。

(1)他人の子供でも自分の子供と同じだと思う心の作用を完全にする。そうすれば、どんな結果になるかは既にこのシリーズで述べた。それまで自分の心に無かった感情が幾つも派生し始める。そして自然に次の段階へ移行する。

(2)動物も人間と同じように感情や心の痛みを共有する、と実感する。常に優しく撫で触り心で対話を繰り返す作業をしなければ、実感できるよう にはならない。与えた分だけ確実に愛情が返ってくることを知り、深い愛情を所有していると感じ取ることができる。そのうちに自分と全く同じで自分自身でも ある、と体得する。

こうなれば、世界が一気に眼前に迫る。海の向こうに居る人間や動物は自分自身である、と会得・体得できる。北原白秋は、自宅の縁側で庭に来る雀を日々欠かさず二年間観察した後、「雀と自分は同じである」と体得した。

リンカーンは「私は人類の権利と同様に動物の権利を支持する。それが本来、人間の取るべき道である」と述べた。彼らは、自分が動物好きだと言っているのでは無い。動物とは自分自身だと言っているのだ。飼っている犬に綱を付け散歩している程度では対話とは言えない。

頬をくっつけ「君は犬で私はなぜ人間か?反対でも決しておかしくは無い。私が人間である理由などどこにもないし、その資格がある訳でもない。ま た君が犬である理由もない」など心で語ることだ。回を重ねる毎に段々深く伝わってくる。そして地上は自己と一体で、生物は全て自分と一緒に息吹きしている と感じ取るだろう。人類は言語を使い始めて深い心を失い始めたと識るべきである。

(3)そのうちに、相手が哀しい存在であることに気付く。感情が豊かであるにも関わらず知恵を持たされず、希薄な感情の人間にばかにされ物質扱いされている。知恵がない故に出来ないことが多数あることを理解し、立場を解ってやらねばならぬと体得することである。

ここに至ると、自己の心に透明感が出て全ての物事や事象、そして人間に対する人格や人間性が透けて見えるから、とても不思議だ。何度もいうが、人間を参考にしても「物質精神」からの脱出は不可能である。

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