普遍教育実践講座第249回「橋下知事へ直訴-9-」

生命あるものは、生命あるものを教科書にしなければ取り返しのつかない結果となる。

今までの歴史から、人類は数え切れないほどの過ちを犯してきた。それはもともと私たちが「重力」から持たされている「物質精神」のまま、自己を放置しているからだ。他の動物を参考にすれば明確である。

例えば、猫や犬の本能である「物質精神」は昔も今も変わらない。しかし、人間には知恵がある。知恵を以て「生物精神」へ移行しなければならな い。その為には命ある動物を教科書としなければ、私達の心を豊かに育むことは不可能である。私達や動物が持つ心「物質精神」は、自分から1センチメートル 以内で接した相手に最も感情を深く持つ。

母親が、お腹に赤ちゃんを宿し母乳で育てることは、この距離である。そして代替えが出来ない役割である。深い愛情を持つのは当然である。また、 相手に対する関心や敵への危険度認識の距離は約50メートル程度である。人間の場合、兄弟や友人などは、この距離の範囲となる。草食動物の場合、50メー トル以上向こう側に肉食動物が居ても、さほど危険とは思わない。

つまり、50メートル以上向こう側、あるいは見えない所にいる人間や動物を、観念では人間や動物と分かっていながら意識の中で半分以上物質扱い にしている。このように、私達や動物は意識の距離感を「物質精神として」インプットされている。これらの具体的な距離の数値は、地球と大気圏、地球と月の 関係から考えた。

この、与えられた閉鎖的な「物質精神」は、ただ生存するだけの基礎である。意識や感情を世界の隅々まで行き届かせる「生物精神」をおのおのが、 自己の中に植え付けてゆかねばならない。そうすることで意識の中で物質扱いにしてきた生物や物事を、リアルに身近なものとして感じることができる。

そして世界中の人や動物の息吹が、自己と一体となり、他の心の痛みが自己と一体化する。世界を自分の中の事として、考えるようになる。世界中の人間が、地上と自分が一心同体であると会得した結果、全ての紛争や諸問題が解決される。

ここで初めて、この連載上で述べている「他は自分で、自分は相手(他人や動物)である」と言っている事が理解出来るだろう。その「生物精神」の訓練を指導するのが教師であり、その現場が義務教育である。

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