普遍教育実践講座第247回「橋下知事へ直訴-7-」

…ほんの少しひねって目を向ければ、この世界には疑問が山ほどある。例えば、大型の草食動物が肉食動物に襲われた時、どうして噛(か)み返さないのか?なぜ噛み付かないで、角や脚で応戦したり走って逃げるだけなのか。鋭い爪や牙を持たされていないのは、なぜなのか。

なぜ 弾力性のある四脚ではなく蹄(ひづめ)で棒脚なのか。背中に飛び乗られ首や脊髄(せきずい)を噛み抉(えぐ)られ易いようになっているのは、なぜか。全身 に柔らかい弾力性を持たされていないのは、なぜ?肉食獣に襲われた時、群れを成しているのに集団で一斉に反撃しないのは、なぜ?

必ず他から殺されるような弱点を各々に背負わせているのは、なぜ?草食動物に弱点がなければ食物連鎖は成り立たない。パーフエクトな自然の摂理を創れるはずなのに、干ばつや洪水などに因って動物たちが死ぬように創ったのは、なぜなのか。死なないように、出来たはず。

因数を調整するためか?天災がなければ因数が増えすぎるから?人間は知恵があり、欲がからむと、どんなことでもどこまでも追求するのに、ここに 述べている内容などは、なぜ少しも追求しないのか。幼児性が抜けた途端に、思春期や青春と呼ばれるものが何故ある?真理を追求し真理を超える考えをさせな いで、他に目を向けさせるため?あるいは、種を存続させる為?

出産が苦しいのに、またセックスするのは、なぜ?出産の苦しさよりセックスの関心が勝るのは、なぜ?突然、人間が人間を殺すように創られたのは、なぜ?自分の子供や親が死ねば悲しいのに、他の者の死に悲しまないのは、なぜ?

争いに関心を持たされているのは、なぜ?オリンピックでは全ての種目が重力に挑戦する競技である。そうして重力に挑戦しながら身体は鍛えるの に、重力の求心性に挑戦して精神を闘わせないのは、なぜ?(ここで言う精神は忍耐力のことではない)。この様に、三原則から与えられた「動作と心」以外は 気が付かなくなっている。人間や動物がお互いに共有する「あらゆる心の痛み」は、同じなのに他の「心の痛み」を感じ取れる能力を持たされていない。だか ら、せめて持たされた「お粗末な心」を派生させ開発させ、限りなく良心を磨き上げなければならない。

そして、これを教育に織り交ぜることは、全世界の人間が成さなければならない使命であり責務であり存在理由である。

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