前回記事第262回の読者からのご感想・ご意見・ご質問

前回の記事について、沢山のご意見・ご感想を頂きました。ご案内致します。
 
  • 人間に与えれた役割について、先生が書いておられる通りだと思います。
    その役割を担えなければ、人間の存在理由はなくなり絶滅するだけのことでしょう。リンゴを食べてしまった罪深き人間は、貪欲から逃るる事ができなくなっています。とすると、我々はすべからく、悟りの境地に達することが義務なのかもしれません。

     

     

  • 1本のロープで各々が繋がっている。運命共同体という言葉がありますが、まさにその通り。所詮植物も含めたすべての生物は、そもそも地球という宇宙船に乗り合わせた同志です。その目線で考えると、人間は周りに迷惑ばかりかけている自分勝手な存在だということに気が付きました。ありがとうございます。 

     

  • 毎日色んな人が亡くなる。その人の知恵、知識、生き様、その人の歴史、すべてが、この世の向こう側へと越えていきます。死こそがあの世への唯一のトンネル効果であるようです。何かの偶然か必然かは分かりません。トンネル効果的に命が生まれる。先生がおっしゃるように一つのひものようなものがふくらんたりしぼんだりしています。そのひもの線はこの世からは輪に見えません。不連続の破線の輪のようでです。その見えない途切れた部分があの世にあるのだと感じます。それが変化する。この世にあるのはトンネル効果的に現れたこの世に析出したもの。森羅万象の命です。その輪は命あるものすべての総和でしょう。個々の個性も特性も膨大な数が揃えば、正規分布になりますので、その輪の揺らぎの中にこのよのものは収縮されます。感情が解らぬ創造者は、人間に知恵を与え自らの罪を人間に託したのである。この使命を実践しないと人間は創造主に滅ぼされるだろう。私は先生のこの言葉に尽きると思っています。私がいると思うから、何かがある、またはいる。創造主でもいいし神でもいいし、Xでもいいのです。先生はすでにあの世の心を持っておられる。ある意味、あの世とこの世のロジックや心を持つのであれば、このよでは、万象の心と共鳴し、あの世ではあの世のロジックと共鳴するのであれば、先生=猫、先生=X、これでいくと先生=猫=Xなります。普通は人間≠猫、人間≠Xとなります。このよでは、感情があっても、あの世では、この世での感情はないでしょう。色んな人がいます。しかし、あの世とこの世の事を論じる人はあまりいません。みんな迷っています。人としてのありようを模索しています。1000年に一度の大震災で多くの人が波にさらわれました。その映像が残ってます。あの世とこのよの境目を感じています。何とか、先生の思い、先生=猫=Xの図式を広める方式を考えなければならないと思います。人=命あるもの=X(神、創造主、仏)それをふまえここがどう授けられた命をどう生かしきるかだと思います。
  • こういった文章や内容が、私が最も好きなもので、拠って支持、致します。今回の記事内容で、一つの輪で、繋がっているとして、ロープに譬えた自意識を繙くと、自分も他の動物も、自分という自意識を持ち、悲しみも苦しみも辛さも痛さも、私たち人間と同じであり、共に普く分かち合っている。だから、相手が自分なのであり、自分が相手なのであるとする考察は、理解できる。全てに於いて、頂点にある人間は、それ故に傲慢であっては、ならない。動物や生き物たちは、余計な損得勘定が働かず、真っ直ぐな感情を向けてくれる、尊いものだ。いつもいつも、物言えぬ生き物たちの感情を受け止め、人間としての存在価値を、示さねばならない。何故なら、それは、人間に与えられた存在理由だから。私自身は、未熟な自分の心を、自分が一番よく知っている。だからこそ、自身を磨き、恥ずかしくない精神で、向き合えるような人間であるよう、努めていきたい。

 

  • 知恵と感情を持った人間にこそできる問題解決。そもそもこの問題は人間が作り出したものも多いですが、『過ちと知りて改めざる,これを過ちという』という言葉があるように、今できることから始めようと思います。

 

  • 人間は、大変な使命をもって生まれたはずだということでしょうか。毎日の暮らしに必死に生きて、自分に与えられる、ちっちゃな幸せに喜び、自分の大切な人たちの、幸せを感じて安心し、また、それが続くように努力します。ほとんど1日が終わってしまいます。社会のあらゆるトコロに、人間の思いやりがたくさん感じられるように、なったらいいなと思います。できそうなコトのような、やらなきゃいけないコトのような気がするのですが、では、どうやってとなると、やっぱり、気がつく人が、思いのある人が、自分の手の届くトコロから一生懸命と、思いました。

 

  • 意識、感情を持たない創造者からとてつもない権利、権力を与えられた人類、その存在理由を示され、かつてあった『人類皆兄弟』という言葉に大きな誤りを感じました。根本はこの地球上に生息、生存するものが皆兄弟であるはずなのに、人類に与えられた権力を誤りつつあることに利用する方向に進んでしまっています。治安を維持するために銃を持たされた者がまったく違った使い方をしようとしているに等しい有様と感じております。打ち鳴らされた警鐘にまず気づき、真摯な態度で取り組むようになれるか?大きな課題であると感じさせられました。

 

  • 人間は知恵を持ち過ぎて金と欲が自分たちをよごれているのを今だにも全然気ずかずに生きている。文化や文明が進むことに連れこれからの人間は自分の意志で生きて行けないのではないかと思う。

 

  • 人間は、現在まで自分たちの都合で自然を操作し、更に生物たちの生死を操作してきました。間違った知恵の使い方をしてきたようです。その代償が今になって現れてくるとは、皮肉なものですね。

 

  • 文明や文化が進むに連れ、人間に限り貴重な精神が退化しだした。使命を失い、欲と金が心を破壊したのである。』本当にその通りだと思います。自然との調和の中で生きることの大切さを忘れ、利益のみを追求し自然破壊を繰り返してきた私たち人間は、地球上の全ての生物には生命と生命のつながりがあり、お互いの存在を支えあって生きている、ということを深く自覚しなければならないと痛感致します。今、私たち人間は、何を本当に大切にするべきかということを、真剣に考えなければならないと思います。著者は述べられています。『全ての生物を安全に生かせてやること。それが私たちの使命であり存在理由である』と。地上のすべての生物を守り地球を存続させるために私たち人間は、あらゆる生命とのつながりへの感性を磨いていくことが、地球市民としての心を育む勉強である、ということを、著者の『分かりやすい人間の存在理由』を通じて私自身深く理解することが出来ました。
    すべては「円」でつながり、跳ね返ってくるという個所がとりわけ心に残ります。ご指摘の通りだと思います。今でこそ、「円」と「縁」は異なる漢字ですが、語源は同じなのではと、今回、フト思った次第です。

 

  • 古代、神が人類の先祖を創りあげ2足歩行へと進化させました。少々、他生物より智恵があった為に他生物より早く進化したとは思います。 智恵の発達を生かし、他生物より便利な生活がしたいという欲求が生まれ、自分たち同種族の中でもさらに上の生活を求めるというさらなる欲求を現在まで人類は追及し続けています。 人間は我を通す為にその都度、環境を破壊し他生物の生活環境を脅かし、挙句の果ては絶滅させています。その反面、生物学者は種の存続を研究し絶滅から救おうともしていますが、未来永劫地球が存続するとは私には思えません。昔のおとぎ話のように将来的には”ノアの箱舟計画”のようなことを言い出す宇宙学者の方が頼りになるかもしれませんね。SF映画の世界が将来的には現実のことになるのではないか?と思われます。

 

  • 今週もとても考えさせられる内容ですね。「人間の存在理由」⇒これまでの私の人生では、考えた由(よし)も無かった大きなテーマです。他の動物と比較すれば、確かに彼等よりも大きな知恵を創造主に授けられた人間が、どのように他の動物達と共存しなければならないのか、これを機会に熟考したいと存じます。云うまでも無く、人間も他の動物と同じ生き物の一つである。然るに、なまじ知恵や叡智を与えられたが故に、他の動物を危険に曝したり、時には感情を有している他の生き物や動物を排他的に扱い、己の欲望だけに突き進む愚かな行動を取るのが人間なのだろうか?…今回の原稿を拝読し、今夜は我が家の猫達に、いつも以上に言葉を投げ掛け、また、優しい眼差しで接しているような気がします…今週も有益な問題提起を賜り、ありがとうございます。

     

  •  読者からのQ&A、
  • 分かりやすい人間の存在理由と題してあるのに、途中途中で何度も読み返しながらわかるまでに、かなりの時間が かかってしまいました。 今現在もわかりきっているかと聞かれると、そうではありません。 何度も疑問が有り何故何故と考えました。重力は感情を持たないとあるのに、何故持たせる事が出来たのだろう?他の生物にも感情を持たせたかったのに、何故与えなかったのだろ? 人間だったらしたい事はきっとするだろうし、持っていない能力を他の物には与えられないだろうし…。 と、色々考えた結果私なりの解釈ですが、 最後に有るように、人間の色々な物が退化してしまっているが為に、そう言う疑問が生まれるのかな?と 。 退化しない方法と言うのは、有ったのでしょうか? まだまだ考えなければいけない事だらけです。

     

  • 感情では無く、知恵を人間だけに与えられた。次に感情は、重力の三原則「求心性、対抗性、規範性」の中の求心性だけを人間や動物に平等に与えられた、つまり親が子を守り、子が親を慕う。という度。だが人間の使命は感情を深く、広く 自ら延ばしてゆき、動物の感情を受け止めてやらなければならないが、無視して逆に惨殺し残酷な目に遭わせている。全て 3欲「食欲、性欲、物欲」に支配されてしまった。この3欲を満たしてくれるのが「金」だから、金を追う。比べて動物は食欲ではなくて、自分の肉体を維持させる為に食べる、だから選り好みはしない。性欲に付いても発情期しか異性を求めない、あくまでも種「子孫」を残す為だけの交尾でしかない、人間よりも崇高と言える。

 

  • 今の補足説明で私にも分かりやすくなりました。有り難うございます! 理解能力が乏しく申し訳有りません。 本当に人間は高等な知恵を沢山与えられていると思います。想像力も与えられたはずなのに、自分の事に置き換えられる想像能力はあまり豊かに与えられなかったのでしょうか? それとも、欲が深くなってるのでそう言う物は考えられなくなってしまったのでしょうか?
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