人間の存在理由(重力の功罪3)第125回2008年7月29日大阪日日新聞掲載

繰り返すが、人間の存在理由は、この地上における不完全さを補うことにある。何が不完全なのか?生存するために同じ感情を持つ他の生物を犠牲にしなければならないこと、そこに生ずる痛みや苦しみ、悲しみなどの悲痛感が無視されていること。

例えば食物連鎖から、ライオンに捉えられて食われている子鹿を、目の前で見ている親鹿の悲痛な心を考えられただろうか。肉体を持たぬ創造主は、それを持ち感情を持つ生物の営みを予想し得なかったのだろう。しかし、予想できぬ多種多様な現象が発生することがあるとは予知し、その現象に対する調整を人間に託したのである。

そのため、人間は知恵と欲を与えられた。知恵だけでは使命を達成するところまで磨かれないと考え、常に発展成長し高速なものと成っていくように欲を併せて与えたのである。

この欲は、知恵を持って不断の思索や探求をさせる働きをする。つまり、より深く識(し)り、より高く広く解(わか)ろうとする欲である。最も重要なことはこの「知恵と欲」の一対は、向かう目的地が二つ、道が二本あったということである。

一方は個人から国家レベルまで限りなく自己満足を求める道。もう一方は、天地創造や人間の存在理由を知り、その使命を全うする道。その使命とは、具体的には万物の管理や調整をすることである。地上には我々人間と同じように重力の三原則に基づいて創(つく)られた生物が数限りなく存在する。

地球の寿命は余すところ約50億年、それらの生物すべてと、その環境を管理、調整、保護しながら、共に地球の寿命まで、この唯一の地上を分け合い生き続けていくということである。今、不幸にも我々は前者の道を選び自滅へと進んでいる。限りなく破壊し、求心性から同じ感情を持つ他の生物に殺りくを繰り返す行為は止(や)むことがない。

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人間の存在理由(重力の功罪2)第124回 2008年7月22日大阪日日新聞掲載

生命とは実に不思議なものである。地球は不思議で満ちている。この不思議なものを生んだ親は古代よりさまざまな名称で呼ばれてきた。ここでは仮に天地創造主と言おう。創造主は地上に存在するすべての生命体の生みの親である。我々人間の生みの親でもある。そして我々より数億倍も聡明(そうめい)である。

しかし彼らも完ぺきではなく、自ら完ぺきでないことに気付いてもいた。さまざまな生命体や構造を生み出しながら、気付かなかったもの、計算違いをしたもの、求心性から感情が派生することを考えつかなかったことなど、多くの空白があった。他の生命体と異なり、人間だけに知恵と欲を授けた理由がここにある。

自分が見過ごしたことや欠落したものを人間に見つけ出させるためである。あまりにも聡明であるがゆえに知っていたのである。無数に創造するものがある中で必ず間違いや見落としているものがあることを。我々人間は、その空白を埋め派生した副産物を正誤に分け、誤りを正す作業を課せられている。それらを見つけ出しどのように解決していくかという課程が教育の核とならなければならない。

今日までの教育は既存のものを説明しているに過ぎない。ある植物がどのように生長するか、太陽と地球の距離がいくらか、目の前にあるものを計算する方法など。どの科目の中にも創造時に欠落されていたものを指摘するものはない。それを抜きにしていかなる考えや教育を施しても完成された人間が造れない。

また、そんなものは真の教育とは言わない。真の教育をしなければ、与えられた知恵や欲で損得を推し量ることだけを追求し、未完成な状態の我々は自滅するようにプログラムされている。人間の存在理由は創造時に未完成だったものを完成させることにある。

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人間の存在理由(重力の功罪1) 第123回大阪日日新聞2008年7月15日掲載

重力はすべての宇宙物体の基礎であり支配者である。その力によって宇宙が存在し地球が誕生し地上の生物が創造された。重力の三原則は規範性、対抗性、求心性であると何かの書物で読み、なるほどその通りだと思った。宇宙の構造だけでなくわたしたちのような生物の精神構造にも影響を与えている。

例えば、地上のすべての物体及び生物は「求心性」に捉えられている。天体はすべてこの力によって成り立ち宇宙空間にぽっかりと浮かんでいられる。わたしたち生物は、それを応用し子が親を、親が子を求める心を持つことによって生存する。それなしでは成長ができず死んでしまう。

親が子に乳を与え、食べさせ、生き方を教え成長するまで守ろうとする心は、重力の求心性を初めからインプットされているからだ。そこから分派し発生したのが種々の愛情であり感情である。他を引き付けたり引き付けられたりするはたらきでもある。これによって異性に惹かれ子孫を残し生命のリレーを行う。

兄弟愛や親子愛などもその種類だろう。悲しい、辛いなどの感情がまた対抗性から派生したものと入り交じって嫉妬(しっと)心や執着心が生まれたと思われる。それらは私たち人間の中に深く根付き内在する。そして精神の発展を妨げている。求心性により私たちの精神は内へ内へと向かい、外に向かって広がっていかない。

自分の住む身近なことに関心を持てても、別の市町村へ、別の国へ、地球全体へとは、なかなか考えにくいように重力の段階からインプットされているのだ。自分の周りの環境さえよければ他はどうでもよいと思うようにできている。

打破しこの壁を乗り越えられるようになるには、やはり教育しかない。その教育は平和へと導く鍵となる。また重力によって同じ心を人間も動物も等しく持っていることに目覚めれば自分を救うことにつながる。重力こそが神という存在なのかもしれない—。

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前回記事第262回の読者からのご感想・ご意見・ご質問

前回の記事について、沢山のご意見・ご感想を頂きました。ご案内致します。
 
  • 人間に与えれた役割について、先生が書いておられる通りだと思います。
    その役割を担えなければ、人間の存在理由はなくなり絶滅するだけのことでしょう。リンゴを食べてしまった罪深き人間は、貪欲から逃るる事ができなくなっています。とすると、我々はすべからく、悟りの境地に達することが義務なのかもしれません。

     

     

  • 1本のロープで各々が繋がっている。運命共同体という言葉がありますが、まさにその通り。所詮植物も含めたすべての生物は、そもそも地球という宇宙船に乗り合わせた同志です。その目線で考えると、人間は周りに迷惑ばかりかけている自分勝手な存在だということに気が付きました。ありがとうございます。 

     

  • 毎日色んな人が亡くなる。その人の知恵、知識、生き様、その人の歴史、すべてが、この世の向こう側へと越えていきます。死こそがあの世への唯一のトンネル効果であるようです。何かの偶然か必然かは分かりません。トンネル効果的に命が生まれる。先生がおっしゃるように一つのひものようなものがふくらんたりしぼんだりしています。そのひもの線はこの世からは輪に見えません。不連続の破線の輪のようでです。その見えない途切れた部分があの世にあるのだと感じます。それが変化する。この世にあるのはトンネル効果的に現れたこの世に析出したもの。森羅万象の命です。その輪は命あるものすべての総和でしょう。個々の個性も特性も膨大な数が揃えば、正規分布になりますので、その輪の揺らぎの中にこのよのものは収縮されます。感情が解らぬ創造者は、人間に知恵を与え自らの罪を人間に託したのである。この使命を実践しないと人間は創造主に滅ぼされるだろう。私は先生のこの言葉に尽きると思っています。私がいると思うから、何かがある、またはいる。創造主でもいいし神でもいいし、Xでもいいのです。先生はすでにあの世の心を持っておられる。ある意味、あの世とこの世のロジックや心を持つのであれば、このよでは、万象の心と共鳴し、あの世ではあの世のロジックと共鳴するのであれば、先生=猫、先生=X、これでいくと先生=猫=Xなります。普通は人間≠猫、人間≠Xとなります。このよでは、感情があっても、あの世では、この世での感情はないでしょう。色んな人がいます。しかし、あの世とこの世の事を論じる人はあまりいません。みんな迷っています。人としてのありようを模索しています。1000年に一度の大震災で多くの人が波にさらわれました。その映像が残ってます。あの世とこのよの境目を感じています。何とか、先生の思い、先生=猫=Xの図式を広める方式を考えなければならないと思います。人=命あるもの=X(神、創造主、仏)それをふまえここがどう授けられた命をどう生かしきるかだと思います。
  • こういった文章や内容が、私が最も好きなもので、拠って支持、致します。今回の記事内容で、一つの輪で、繋がっているとして、ロープに譬えた自意識を繙くと、自分も他の動物も、自分という自意識を持ち、悲しみも苦しみも辛さも痛さも、私たち人間と同じであり、共に普く分かち合っている。だから、相手が自分なのであり、自分が相手なのであるとする考察は、理解できる。全てに於いて、頂点にある人間は、それ故に傲慢であっては、ならない。動物や生き物たちは、余計な損得勘定が働かず、真っ直ぐな感情を向けてくれる、尊いものだ。いつもいつも、物言えぬ生き物たちの感情を受け止め、人間としての存在価値を、示さねばならない。何故なら、それは、人間に与えられた存在理由だから。私自身は、未熟な自分の心を、自分が一番よく知っている。だからこそ、自身を磨き、恥ずかしくない精神で、向き合えるような人間であるよう、努めていきたい。

 

  • 知恵と感情を持った人間にこそできる問題解決。そもそもこの問題は人間が作り出したものも多いですが、『過ちと知りて改めざる,これを過ちという』という言葉があるように、今できることから始めようと思います。

 

  • 人間は、大変な使命をもって生まれたはずだということでしょうか。毎日の暮らしに必死に生きて、自分に与えられる、ちっちゃな幸せに喜び、自分の大切な人たちの、幸せを感じて安心し、また、それが続くように努力します。ほとんど1日が終わってしまいます。社会のあらゆるトコロに、人間の思いやりがたくさん感じられるように、なったらいいなと思います。できそうなコトのような、やらなきゃいけないコトのような気がするのですが、では、どうやってとなると、やっぱり、気がつく人が、思いのある人が、自分の手の届くトコロから一生懸命と、思いました。

 

  • 意識、感情を持たない創造者からとてつもない権利、権力を与えられた人類、その存在理由を示され、かつてあった『人類皆兄弟』という言葉に大きな誤りを感じました。根本はこの地球上に生息、生存するものが皆兄弟であるはずなのに、人類に与えられた権力を誤りつつあることに利用する方向に進んでしまっています。治安を維持するために銃を持たされた者がまったく違った使い方をしようとしているに等しい有様と感じております。打ち鳴らされた警鐘にまず気づき、真摯な態度で取り組むようになれるか?大きな課題であると感じさせられました。

 

  • 人間は知恵を持ち過ぎて金と欲が自分たちをよごれているのを今だにも全然気ずかずに生きている。文化や文明が進むことに連れこれからの人間は自分の意志で生きて行けないのではないかと思う。

 

  • 人間は、現在まで自分たちの都合で自然を操作し、更に生物たちの生死を操作してきました。間違った知恵の使い方をしてきたようです。その代償が今になって現れてくるとは、皮肉なものですね。

 

  • 文明や文化が進むに連れ、人間に限り貴重な精神が退化しだした。使命を失い、欲と金が心を破壊したのである。』本当にその通りだと思います。自然との調和の中で生きることの大切さを忘れ、利益のみを追求し自然破壊を繰り返してきた私たち人間は、地球上の全ての生物には生命と生命のつながりがあり、お互いの存在を支えあって生きている、ということを深く自覚しなければならないと痛感致します。今、私たち人間は、何を本当に大切にするべきかということを、真剣に考えなければならないと思います。著者は述べられています。『全ての生物を安全に生かせてやること。それが私たちの使命であり存在理由である』と。地上のすべての生物を守り地球を存続させるために私たち人間は、あらゆる生命とのつながりへの感性を磨いていくことが、地球市民としての心を育む勉強である、ということを、著者の『分かりやすい人間の存在理由』を通じて私自身深く理解することが出来ました。
    すべては「円」でつながり、跳ね返ってくるという個所がとりわけ心に残ります。ご指摘の通りだと思います。今でこそ、「円」と「縁」は異なる漢字ですが、語源は同じなのではと、今回、フト思った次第です。

 

  • 古代、神が人類の先祖を創りあげ2足歩行へと進化させました。少々、他生物より智恵があった為に他生物より早く進化したとは思います。 智恵の発達を生かし、他生物より便利な生活がしたいという欲求が生まれ、自分たち同種族の中でもさらに上の生活を求めるというさらなる欲求を現在まで人類は追及し続けています。 人間は我を通す為にその都度、環境を破壊し他生物の生活環境を脅かし、挙句の果ては絶滅させています。その反面、生物学者は種の存続を研究し絶滅から救おうともしていますが、未来永劫地球が存続するとは私には思えません。昔のおとぎ話のように将来的には”ノアの箱舟計画”のようなことを言い出す宇宙学者の方が頼りになるかもしれませんね。SF映画の世界が将来的には現実のことになるのではないか?と思われます。

 

  • 今週もとても考えさせられる内容ですね。「人間の存在理由」⇒これまでの私の人生では、考えた由(よし)も無かった大きなテーマです。他の動物と比較すれば、確かに彼等よりも大きな知恵を創造主に授けられた人間が、どのように他の動物達と共存しなければならないのか、これを機会に熟考したいと存じます。云うまでも無く、人間も他の動物と同じ生き物の一つである。然るに、なまじ知恵や叡智を与えられたが故に、他の動物を危険に曝したり、時には感情を有している他の生き物や動物を排他的に扱い、己の欲望だけに突き進む愚かな行動を取るのが人間なのだろうか?…今回の原稿を拝読し、今夜は我が家の猫達に、いつも以上に言葉を投げ掛け、また、優しい眼差しで接しているような気がします…今週も有益な問題提起を賜り、ありがとうございます。

     

  •  読者からのQ&A、
  • 分かりやすい人間の存在理由と題してあるのに、途中途中で何度も読み返しながらわかるまでに、かなりの時間が かかってしまいました。 今現在もわかりきっているかと聞かれると、そうではありません。 何度も疑問が有り何故何故と考えました。重力は感情を持たないとあるのに、何故持たせる事が出来たのだろう?他の生物にも感情を持たせたかったのに、何故与えなかったのだろ? 人間だったらしたい事はきっとするだろうし、持っていない能力を他の物には与えられないだろうし…。 と、色々考えた結果私なりの解釈ですが、 最後に有るように、人間の色々な物が退化してしまっているが為に、そう言う疑問が生まれるのかな?と 。 退化しない方法と言うのは、有ったのでしょうか? まだまだ考えなければいけない事だらけです。

     

  • 感情では無く、知恵を人間だけに与えられた。次に感情は、重力の三原則「求心性、対抗性、規範性」の中の求心性だけを人間や動物に平等に与えられた、つまり親が子を守り、子が親を慕う。という度。だが人間の使命は感情を深く、広く 自ら延ばしてゆき、動物の感情を受け止めてやらなければならないが、無視して逆に惨殺し残酷な目に遭わせている。全て 3欲「食欲、性欲、物欲」に支配されてしまった。この3欲を満たしてくれるのが「金」だから、金を追う。比べて動物は食欲ではなくて、自分の肉体を維持させる為に食べる、だから選り好みはしない。性欲に付いても発情期しか異性を求めない、あくまでも種「子孫」を残す為だけの交尾でしかない、人間よりも崇高と言える。

 

  • 今の補足説明で私にも分かりやすくなりました。有り難うございます! 理解能力が乏しく申し訳有りません。 本当に人間は高等な知恵を沢山与えられていると思います。想像力も与えられたはずなのに、自分の事に置き換えられる想像能力はあまり豊かに与えられなかったのでしょうか? それとも、欲が深くなってるのでそう言う物は考えられなくなってしまったのでしょうか?
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普遍教育実践講座第262回「分かりやすい人間の存在理由」

  遡れば切りが無いので適当な位置から始めることにする。

 水や大気が地上に存在し、最初の生物は草木、昆虫、小動物、中から大型動物そして人間が現れた。

人間と四本足動物は、ある時期を共に過ごしただろう。その中で、唯一人間にだけ創意工夫が出来る知恵を与えられた。

きっと他の動物にも知恵を授けたかっただろう。もし他の動物が知恵を持てば、真っ先に人間が食べ尽くされ、今の私たちは存在しないだろう。では何故人間だけに知恵が与えられたのか?

重力に因って創られた地上に於ける全ての営みを功と罪に分けること。

人の知恵から創造者が犯した罪を如何に解決し、全ての生物を安全に生かせてやること。それが、私たちの使命であり存在理由である。功とは、体系的な地上のシステムとその構造が実によく出来ていて完璧といえる点だ。

だが悲しいかな、創造者である重力には感情が無く、また所有していない。ゆえにシステムそのものが全く精神を無視したものだ。少なくとも哺乳類は感情を共有している。自分という自意識も、他の動物も、また全く同じ自分なのである。

例えれば、途方もなく長い輪になった、自意識という一本のロープの前に人間と各種動物が座り、目の前のロープ約1cmを各々が、飲み込んだ状態。

その1個体が自分と云う自意識である。一本で繋がっているものを分かち合ったものだから、自分も他の生物も同じで、相手は自分であり、自分は相手である。だから他の動物の感情を汲み取ってやり、私たちは何をするべきかを思考し知恵を以て解決してやらねばならない。

感情が解らぬ創造者は、人間に知恵を与え自らの罪を人間に託したのである。この使命を実践しないと人間は創造主に滅ぼされるだろう。古代の人間は動物と全く同じ生き方をしており、無益な殺生はしなかった。他の生物の生存場所を荒らさず犯さなかった。

他を守ることは自分を守ることに繋がるからである。しかし文明や文化が進むに連れ、人間に限り貴重な精神が退化しだした。使命を失い、欲と金が心を破壊したのである。そして今も気付かずにいる。地上も宇宙も全て円であり限りなくゼロである。

だから我に跳ね返ってくる。

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普遍教育実践講座第261回「読者の意見と感想②」

「震災の多重苦と原発事故」に関し、多くの意見が寄せられました。前回に続き、長い分は簡潔の上、ご紹介します。

「北関東の被災者の皆さんを助けようと思ったのはテレビ映像を見たからでしょう。平和ボケした国民の改革をして、主権国家に相応しい国会議員とリーダを選ばなければ、我が国の明日はない」(大阪市・会社経営)

「危機の際に個人も組織も国家も本当の力が試される。状況から、我が国が本当に世界に誇れる先進国かは疑問である。秩序を守る個人の姿が世界か ら賞賛されているが、裏返せば無力な国家体制が、改められない理由でもある。もう一度、日本は世界の中でどう在るべきか、国民の意識の確立につながること を願う」(大阪市・医師)

「日本の3・11です。あの地震で日本は一変しました。現実のもろさが露呈しました。津波に巻き込まれる現場を見て、多くの人は、生と死が紙一 重であることを実感したと思います。それにしても膨大な被災者と地域、かつ放射能の大量漏洩。ただでさえ、大変なのに原発周辺の人たちは、なお過酷のはず です。これから被災者の方々に、激しい対象喪失が生じるでしょう。

やけどの痛みは一服した後に訪れます。それと同じように心をえぐるような、悲しみと寂しさに見舞われます。浮ついた慰めはむなしく響くだけです。本当に悲しみを熟知した人の言葉しか響かないはずです」(大阪市・会社経営)

「1945年8月6日。広島のど真ん中に原子爆弾が投下された。一瞬にして数百万の尊い命が奪われた。私はまもなく50歳。多くの先人が犠牲に なった広島。米科学者は想像して板だろうか? 原子力が大量殺りく兵器になることを。原子力発電所も大量殺りく兵器に見えるのは私だけだろうか?

年中無休に24時間営業、ローソンができ、すぐにファミリーマートが、近くにできた。電力量を増やす原因だ。弁当を捨てる量も3倍になったとい う。私たちの亡くなった祖父母はどう感じるだろうか。被爆2世、3世、いや4世の時代となった。こうなると戦争イメージがわかない。しかし、実は2世3世 に遺伝子が受け継がれ、リンパ腫や乳がんは減らない実態である。

あと知られていない事実が2つある。1つは現在の広島市内の地主はすべて、よそ者であること。土建屋出身が多く、荒っぽいと言われる由縁になっ ている。もう一つは、長崎原爆投下は世界的に知られていない。なぜか? 長崎にはかなりの米国人を含む外国人が居住していたからだ。なんと、米国は自国民まで殺してしまった」(大阪在住・広島県人)

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普遍教育実践講座第260回「読者の意見と感想」

前回の記事に対する感想や意見が読者の方から多数寄せられましたので、ご紹介します。長い文章は簡潔にさせていただきましたので御了承下さい。

「最初は夢を見ているのかと信じられず、被災された方々がお気の毒で、力になるのは今のところ義援金のみ。その中で人の強さと優しさに心打たれ ました。しかし、日々の報道を見る内に段々と腹が立ちました。政府や東京電力の頼りない会見。特に東京電力は他人事な様子。マスコミも被災者の悲しい姿を しつこく取材するなら、他にすべき事が沢山あるはず。学歴や地位だけで自分がトップだと、独り善がりする何も出来ない人達、何とかしてほしい。」(大阪 市・主婦。)

「何回も記事を読みました。元来、日本は地震の多い国だから国民を守る対策を常に考えている、と思ってました。アジアでナンバーワンの日本がこの様な問題を起こすべきではない。」(中国・学生)

「この度の大震災に言葉がありません。一方、この災害で、関西の原子力発電は僅か高さ2メートルの津波に対応が出来ず、水害に弱い大阪市の実態が浮き彫りとなった。」(大阪市・会社員)

「被爆国、日本。残酷で許し難いあの悲惨な核の脅威を絶対に忘れてはならない、と原爆資料館を見学し、思った矢先。この原発事故という現実に直 面して絶句するしか他に方法がない始末。記事の中に”生活の便利さと引き換えに、子孫に負の遺産を遺していいのか”と。今こそ私たち一人一人が、将来の世 代を守る為にも、過去に起こった悲劇として受け止めるのではなく、二度とこの様な事態を起こさない強い意識と行動が必要です。」(大阪市・主婦)

「今回の大震災における問題点、改善策、今後の在り方などは記事の通り。本当に日本の事を、命がけで、指導してゆける人がいないのが現状だと、思い知らされた。」(大阪市・会社員)

「ポイントは想定の範囲と責任にある。本来原発が民間企業に因って運営管理されている事に大きな問題を感じる。大半の先進国にはエネルギー省が 存在し、政府が管理している。我が国の現状は責任の回避であり、国民がそのツケを払い、被害を被っている。菅首相は茶番劇を演じ、有事に於いて何も出来な い。お粗末な、国の対応が、誠に残念な限りです。」(大阪市・自営業)

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普遍教育実践講座第259回「震災の多重苦・おまけに原発事故」

東京電力と政府は全被災者に責任を負うべきである。大型地震に続き、広範囲に及ぶ巨大津波と石油タンクの火災。そのうえ、大勢の人々が家族を失い、 寒さと飢えという多重苦の中で追い討ちをかけるように、原発事故が発生した。「屋内に避難しろ」とか「何キロメートル離れろ」などと簡単に言うが、被災し た状況で物資も足もないのである。何と非情なことを傷ついた人々に強いるのか。そもそも原子力発電は安全だと信じ込ませたのは東電と政府である。

今回の災害を「想定外」だと言うが、災害はいつも想定外のものである。原子力が人間の力で制御できないのなら、どんなことが起きても耐えうる構 造であってこそ「安全」だと言い切れる。我が国は被爆国であるにもかかわらず、決して頑丈とは言えない原子力発電所を作っていたことになる。

原発施設は、頑強な要塞であるべきであり、たとえミサイルが落ちても安全であるという程度が基準でなければならなかったのではないか。何でも想定の3倍の用心が必要だったはず。2倍は被爆国では無い国。日本は被爆国だから3倍である。

津波の高さが10メートルと想定した場合は、30メートルの高さの超頑丈なコンクリートを三重にして覆うべきであっただろう。過去の原発事故を 見ても制御は難しく、いかに人間が無力であるか。コンクリートで固めて鎮めたところで何百年たてば放射能の恐怖から逃れられるのか。多くの電力を必要とす る生活の便利さと引き換えに子孫に負の遺産をのこしてもいいのか。改めて考えなければならない。

また、マスコミの映像を見る毎に、憤りを感じたのは私だけだろうか。震災の事実、被災者の窮状を映すだけでなく、もっと有益な情報を流し一刻も 早く救助の手が差し伸べられるように図るべきである。被災地に多くの報道ヘリを飛ばせるなら、助けが必要な被災者と救援隊との橋渡しをするとか物資を少し でも届けるなどできないのか。取り残された人々の位置を知らせたり、取材した避難所で何が必要とされているのかを救援隊に知らせることが重要だ。

悲惨な状況は全国民がわかっている。何もかもをなくし悲嘆にくれている人たちにマイクを突きつけないでもらいたい。日本国民は自分にできることは何かと考え総力をあげようとしているのだから、そのために有益な情報を提示してもらいたいものだ。

そして、義援金として集まった額「入金数字の原本」と誰がどこに渡したかをハッキリ映像で示してもらいたい。募金団体の中には、高所得者の幹部 が湯水の如く寄付金を使用しているところもある、と聞いている。送金者の思いが、直接、被災者に届いている光景を見せてもらいたい。

これからは、政府も天下りに高給を払うくらいなら、安全性を高める費用に回すべきである。しかしながら、これが今の日本の姿。犠牲となられた人々を悼み、ご冥福をお祈りします。

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普遍教育実践講座第258回「地球が怒っている」

今回の大震災にあたり、その深い悲しみは想像するに余りある。その上で今一度私たち人類の在り方について見直さなければならない。フランスの文化人 類学者、レブイーストロースは人類のおごりを戒めている。「限られた資源を喰い荒らしながら、人類だけが異常繁殖し、他の生物を絶滅に追い込んでいる。地 球中心主義が地動説に葬り去られたのと同様、人間中心主義もそろそろ終わりにしなければ」。

また 石原都知事が、「我欲に縛られた政治や人心が長年に渡り積重している。津波は天罰。」と言い批判された。被災者の方々には申し訳ないが、世界各地で頻繁に 起こる地震や津波は人類への警告かも知れないと私も思う。もちろん罰せられるべきは私も含む人類全体であって今回の被災者の方々には気の毒な限りである。

世界の海底には目を疑うほどの大量のゴミが、山積となっているだろう。そして森林を限り無く伐採。何億年も費して作り上げた地球上の自然環境 を、僅か100年弱で人間がズタズタにしてしまった。地上を作り上げた者に取って、人間も他の生物も自然も同じく我が子なのである。言い換えれば、自分の 手足にある指の一本が人間であり、他の指が他の生物である。

どの指も大切なはず。だが、自分の一本の指が自分の他の指を切断してゆくのである。19本の指を守る為に悪い一本の指を葬り去ることは適切な判断かもしれない。

常々、自分自身とは何だろうと考える。自己が生きることは、他の動物の肉を喰らい、他の生物が生きる生息場所を奪い、そこを車で走る。かつ、新 鮮な毛皮を人間が身に着ける為、生きたまま動物の皮を剥ぎ取るなど。そこまで、他の生物を犠牲にして生きる自己に、一体どんな価値があるのか?

ただ 生まれたから生きている。これ以外に理由が見つからない。これなら他の生物も同じである。生きる自意識の拡大に過ぎない。その中で顕示欲、物欲が自己の中 に渦巻く。石原都知事が言う我欲の固まりと化した人類。同じように生まれ狭い柵の中で肉に成るまでの生命しかない牛、豚、。行き先に価値のない自己なら、 他の生物への犠牲を最小限に留めるべきである。

生まれてただ生きるだけなら、他の生物を拘束し殺す資格や権利は何処にもない。まして、放射能などは自然が最も嫌うものである。人類にとっての当たり前を、根底から見直し改める最期のチャンスかも知れない。

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普遍教育実践講座第257回「なぜ大臣になりたいのか」

車を運転していると正面衝突する勢いで来る自転車。腹立たしい。いつからこんな非常識な世間になったのか。一度腹が立つと常日ごろから不満に感じる ことが次から次へとわき出てくる。だいたい、今の日本は、どこが入り口で、どこが出口かわからない行政の構造体だ。建て増し継ぎ足しで、玄関先の上に部屋 が突き出たような状態。

法務省の天下りが、する仕事がないので信じられないような規制を作り上げ、商売に歯止めをかける。教育現場も人格形成には、程遠い生徒と親。ど の程度が借金の限界かを知らない政治家達。歴代の大臣は資産家ばかり。与党を倒す為、出来もしない事ばかり唱えた民主党。行政改革を断行する勇気や力も無 いのに、掛け声だけで当選しようとするお粗末な議員。

 

既に破綻しているこの国の大臣に、競って成りたいのは何故?景気が悪くても良くても議員の給料は同じ。大臣になれば利権に参加出来るか ら?。甘い汁を味わえるから? 歴代に名を残せるから?とんでもない。責務感と使命感があれば、今この国の大臣になるのは二の足を踏みちゅうちょするのが当たり前だろう。

ここ何十年難問題の解決がなされていない。大阪だけでも、府会と市会議員の総数は1140人。1議員に掛かる経費が年間約2500万円としたら、約285億円となる。全国ではいくらになるのか。

一方 、国内で日本製の物を購入したくても、物がない。製造業もほとんど無くなった。大手メーカーは中国からベトナムへ。工場が最も多く雇用を必要とするのに。 就職難ではなく働く場所がないのである。働く場所すらない若者が、どうして消費税を払い生活が出来るのだろう。また、技術を海外へ流出させることは国を売 る事でもある。技術の種を外国の畑に植えて、出来た品物を日本へ売ってくる。このような状況になることは十数年前からわかっていた。政治的に食い止める努 力をするべきだった。

ある長老の政治家が捨てセリフを吐いて政界を去った。「今の国会は、政治家では無く政治屋ばかり」。なぜ、政治や政策のプロではないのに立候補 するのだ。一体、こんなにガタガタになった日本をどうしてくれる。責任を取るとは、辞任することでは無く弁償することである。責任ある歴代大臣全員が、私 財を国へ差し出すべきである。そして、働く国民の平均所得に合わせて、議員の給料も変動させるべきではないか。

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