固定観念は大きな恐怖第156回2009年3月17日大阪日日新聞掲載

世界のどこに在(い)ても「生あるものすべて自分と同じ」である。と言うことは極めて大切であるし、人間教育の到達点でもあるといえる。私たちが自己の中に所有する自我意識、概念、自己観念から自分の世界観を形成させている。そこから外れたものは死となる。人間も動物も同じであるが、自分から距離や認識が近い順番から、大切な相手とそうでない相手に、無意識のうちに分けてしまっている。

言い換えれば、自分の知らない土地や、外国のどこかに在る人たちが、苛酷(かこく)な状態にあっても、あまり悲観的にならない。種が異なるとさらに軽視した存在となる。人間の足元にいる犬、猫、馬からキツネと遠ざかるにつれ、かなり希薄なものになっていく。人間の中にあって小グループから大グループ、そしてグループ同士がぶつかり合う。

他の生物も同様である。つまり縄張り意識とその概念は、私たち生物にインプットされたもので、この障害を克服しなければならない。この克服とは、会得、体得、悟ることになる。世界の至るところで発生する紛争から戦争、また自分たちのところさえよければ、隣は不自由でもよいとする自我意識。北朝鮮はミサイルを打ち上げようとしている。他の核保有国も同じだが、世界中の至るところに自分が在ると知れば、ミサイルなど造らないし、持たないだろう。

自己に内在する概念を打ち破らなければ、大きな恐怖である。これを打ち破りその先には自分が在ると知ることが、核を放棄し、一つのものを分け合い、地上における精神が豊かになる。また人間が教育として目指す頂上でもある。個人が持つこれらの特色に気が付き、自覚し、恐れなければ人間としての資格がない。

動物はプログラムされた分で、その生涯を終わる。疑問を持つことが許されないからだ。だが、私たちには疑問を持つ知恵がある。さもないと、人間自らが人間を滅ぼすだろう。

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