重力と人間Ⅲ 第216回2010年5月25日大阪日日新聞掲載

今では武器を持ち強い対抗性を持たなくても、人間は他の生物に捕食されることがない。その結果、対抗性・物欲・知恵の3つが絡み合い乱れた状態で人間の精神の奥に巣くっている。その固まりに人間は支配されている。

そして、求心性や規範性にも大きな影響を与えている。求心性として愛情を持っているはずの我が子に「誰それに負けるな」と歪んだ精神を植えつける。規範性である起床にしても「少しでも長く寝る方が得だ」と言ったりする。早起きして食べるものを探さなくても、保存した食料があるからだ。

自然に生きる他の生物は、早起きしないと食べる機会を失い、一日中空腹で過ごさなければならない。このように、自然の生物であるはずの人間が越えてはならない一線を越え、更に越えた結果が現在の状態である。それは、はっきりと三欲「食欲・性欲・物欲」に表れている。

肉体を維持するための食が、飽食と限りない美食へと変化している。種を存続するための性行為が、アダルトビデオに見られるように、異常な性行為を求めるようになっている。生きるために必要な道具から、贅沢(ぜいたく)な物欲への変化がむき出しとなっている。

これに比べ、他の生物は、食となる生物を必要以上に捕食せず、種の存続にのみ性行為を成す。しかも、必要な物しか求めない。このスタイルは遠い昔から変わらず、真理を守り続けている。それなのに、飽食で物欲の激しい人間が、必死で真理を守り続けている動物たちに残虐行為を繰り返す。

例えば、肉食動物に食を与えず、空腹にさせておき、その中へ草食動物を放し、襲われ食われる様子を見物する者たちがいる。最も恐ろしいことは、このように変化した人間がその自分に気づかないことである。宮崎牛が大量に殺処分された。彼らの生涯は、人間に食われるか、人間の勝手で殺されるかである。

実際に平等であるということは、人間も他の動物も同じように万遍なく生まれ変わるということである。明日は、自分が宮崎牛の一頭であることは間違いのない事実である。いつまでも人間でいられると思うな。

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