人間の存在理由(重力の功罪4)第126回2008年8月5日大阪日日新聞掲載

創造主を知りたければ自分を知ればよい。彼が自分自身を応用して人間を創(つく)ったのだから。ただ彼と人間の異なる点は数億倍も聡明(そうめい)なことである。彼の能力の下層の一部だけが人間との共通点だろう。では、それだけの能力がありながらなぜ自分と同じように聡明に創らなかったのか–創れなかったのだ–。

一つは、万物を創造できる能力と同様の能力を備えた脳を創るにはその大きさに問題がある。肉体を持たなければ容量に制限はないが、人間には肉体がある。そこに巨大な脳が必要であれば巨大な肉体が必要となり重力に邪魔され動くことすらできないだろう。無限に知恵が働く脳を与えたかっただろうが、私たちが今持ち合わせている脳の大きさが限界だ。

また、知覚、触覚、嗅覚(きゅうかく)、味覚、視覚、聴覚など五体を維持させる機能を備え稼働させるため、脳スペースのほとんどを占有されてしまい現状の脳では聡明なはたらきに向けてフル稼働することさえできない。もう一つの理由は、聡明であればあるほど恐怖の対象がはっきりした輪郭を持ち恐怖心が増大して自ら滅びかねないからである。

つまり、聡明でないほど恐怖心が希薄なのである。良くも悪くも若者が無鉄砲であるのは危険をリアルに感じるほど聡明でないからである。猫や犬が交通量の多い道路を横切ろうとするのも恐怖の対象が曖昧(あいまい)だからである。

動物は特に恐怖の対象に向けて調査、分析をし、回避するというような能力を持たされていない。食物連鎖を成り立たせ維持するためである。だから捕食者がいる付近に被捕食者が散在しているという状態になっている。

五感が鋭く運動能力が発達しているのだから常に捕食者と距離を置くことができるのに、そうはせずには両者が緊張を保ちつつ近くで寝そべっていたりもする。しかし、人間も動物も子を思う親心は同じであるし、眼前の死に直面した恐怖も同じである。

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