人間の存在理由(重力の功罪3)第125回2008年7月29日大阪日日新聞掲載

繰り返すが、人間の存在理由は、この地上における不完全さを補うことにある。何が不完全なのか?生存するために同じ感情を持つ他の生物を犠牲にしなければならないこと、そこに生ずる痛みや苦しみ、悲しみなどの悲痛感が無視されていること。

例えば食物連鎖から、ライオンに捉えられて食われている子鹿を、目の前で見ている親鹿の悲痛な心を考えられただろうか。肉体を持たぬ創造主は、それを持ち感情を持つ生物の営みを予想し得なかったのだろう。しかし、予想できぬ多種多様な現象が発生することがあるとは予知し、その現象に対する調整を人間に託したのである。

そのため、人間は知恵と欲を与えられた。知恵だけでは使命を達成するところまで磨かれないと考え、常に発展成長し高速なものと成っていくように欲を併せて与えたのである。

この欲は、知恵を持って不断の思索や探求をさせる働きをする。つまり、より深く識(し)り、より高く広く解(わか)ろうとする欲である。最も重要なことはこの「知恵と欲」の一対は、向かう目的地が二つ、道が二本あったということである。

一方は個人から国家レベルまで限りなく自己満足を求める道。もう一方は、天地創造や人間の存在理由を知り、その使命を全うする道。その使命とは、具体的には万物の管理や調整をすることである。地上には我々人間と同じように重力の三原則に基づいて創(つく)られた生物が数限りなく存在する。

地球の寿命は余すところ約50億年、それらの生物すべてと、その環境を管理、調整、保護しながら、共に地球の寿命まで、この唯一の地上を分け合い生き続けていくということである。今、不幸にも我々は前者の道を選び自滅へと進んでいる。限りなく破壊し、求心性から同じ感情を持つ他の生物に殺りくを繰り返す行為は止(や)むことがない。

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