東西を問わず、これまでの哲学は真理を解き明かすことに明け暮れた。真理を知り「よし」とした。これでは「人間の存在理由」を見つけ出すのは不可能である。真理を解き明かし、功と罪を選り分け、そこから人間の存在理由を学び取り実践することが、私たち人間に与えられた使命である。
真の哲学とは「重力の功罪」から、功と罪に選り分け思考と考察の上、真の善を見いだし実践することにある。そして
それを「人間の存在理由」としなければならない。
人間を教科書にしてはいけない、としたが しかし 先に、人、人間の生きた人間学をマスターしなければならない。生きた人間学とは文字では無く、各々が発揮する異なる精神作用を客観的にその全部を捉え「人間とは、こういう生物だ」と体得することである。大切なことは、各々が持つ精神作用を受け入れることが出来る自己の度量を設けなければならない。
傷付くことは辛い、だが パン屋のまな板ほど傷付き訓練すれば慣れて傷付かなくなる・そして哲学者が誕生する。それは傷付かなければ向上しないからである。
約10年前の時点で地上に住む生物を100万種類以上の絶滅種を記録した。それから毎年一万種以上の絶滅種を出し続けている。人間以外の全ての生物に因って、一つの地球が支えられている。にもかかわらず、人間は他の生物を死滅させ続けている。
地球は超便利に超近代的に人間が生きるようには成っていない、不便でこそ生きてゆける。それが最も進んだ生き方だと、理解出来るようにならなくてはならない。
最も深い哀しみを受け止めた時、最も深い愛を会得したといえる。
私達が到達する精神の果ては、どんな生物も自分の子供と同じである。と体得するところにある。現時点では他の生物と同じ精神の位置にいる。これでは人間としての存在理由は無く、天地創造主も人間を不要と思うだろう。
哲学には終わりはない。また 哲学を卒業した、という事もない。思考と考察を操り返して進んでいる最中が哲学なのである。 哲人 カント
哲学とは真に真理を知り解して、心身を以て溶け込み、その対応を優しく活動するものであって、哲学にして哲学に非ず。 大谷